イジりは(大げさに言えば)人権侵害では
基本,人間はイジられると不快感を感じるものなのではないかと私は思っています.
「イジられて笑いが取れた,イジってくれてありがとう!得した!」なんて思う人は,主に関西出身の一部の人くらいじゃないでしょうか.
私は生まれてから18歳高校卒業までを兵庫県で過ごして,大学入学以降はずっと関東で過ごしています.関西人ですが,私はイジられるのは不快に感じます.
また,これまで,「関西人が周囲をイジって,主に関西以外出身の人が微妙な顔をしている」という構図を度々目にすることがありました.この罪深く無知な関西人は,本当に,「イジられた側も,笑いが取れてラッキーやろ.場を盛り上げてる俺カッケー」くらいにしか思っていないことがあります.
「バックグラウンド(例えば出身地)の異なる相手が,異なる価値観を持っている可能性を考える」ということを教育されなかった結果かもしれません.ぜひ,持ち前のコミュ力で,別の方法で場を盛り上げて欲しいものです.不快な気持ちにさせるくらいなら,場を盛り上げていただかなくても結構です.
イジりの問題の根源は,
「相手がイジられて不快に感じるかどうか,確認するのが困難」という一点であるように思います.ある程度仲が良い相手でも,相手に不快感を伝えるのは勇気がいるものです.私も,「イジられるのもしかして嫌いなん?」と聞かれても,「うん,前からイヤやった」とは答えられない気がします.また,出身地で区別するのも正しくありません.なぜなら,(私のように)関西人でも不快感を感じる人がいるからです.
私は,バックグラウンドによって価値観が異なり,それを確認するのが困難な場合は,なるべく多数の人間の不利益にならない方向に倒すのがマナーではないかと思います.
今回のケースで言えば,出身地や個人の価値観によってイジられることを不快に感じる人がいて,それを事前に確認するのが困難であるため,(相手が不快感を感じる可能性を考慮して)イジるべきでない,ということになります.
まぁ当然ですかね.
(相手がLGBTであることをカミングアウトしていない場合を考えて,LGBTが不快に感じるであろう性的発言をしない,とかも同様です)
※誰かをイジって不快にさせて、「イジりが嫌なら言えばいいのに」と思うのは、ゲイを笑いのネタにして不快にさせた上で、「嫌ならカミングアウトすればいいのに」と思うのと似ていると思います。不快感を感じだと伝えるに耐える信頼感が当事者間にあるかどうかを、一方的に判断すべきでないからです。というのがタイトルの趣旨です。(3/22追記)
下記の記事には,「いじり」が関西土着のコミュニケーション方法なのではなく,テレビ発祥であることが説明されています.プロのタレント同士の,事前に打ち合わせのあるコミュニケーションと,一般人同士の,生のコミュニケーションとの混同に起源のある摩擦であると言えそうです.
人をイジる側の方は,テレビの真似をする前に,「バックグラウンドの違いの可能性を一度考える」という行動をとる必要があります.
また我々の側も,「イジる」という行動が不適切な場合があることには確信を持ちながら,対応する必要があります.
まぁなんでこんな記事書いてるかというと,久しぶりに関西人にイジられて,不快な思いをしたからなんですけどね.