つらいときは,不純な動機を思い出すといい
高尚な動機と不純な動機
あなたは高尚な動機と,不純な動機,どちらの方が頑張れますか?
例えば,「世の役に立つ,立派な人になりたい!」というのが高尚な動機,「女性にモテたい!」というのが不純な動機の例としても良いでしょう.
検索すると,不純な動機の方が頑張れる,という人が結構います [1-3].
[1] 動機は不純な方がいい | やりたい事が見つからない君へ
[2] 動機が不純な人ほど、成功する。 - Love Yourself
[3] 不純な動機だっていいじゃん | 小峰友紀オフィシャルブログ
[1] のサイトなど,不純な欲求を意識した方が頑張れる理由の説明に,マズローの欲求5段階説を用いることが多いようです.
安全欲求・・・ちゃんとした家に住みたいとか、安心な暮らしをしたいっていう欲求
下の段階の欲求が満たされるほど, 上の段階の欲求を持ちやすい,という理屈です.
例えば,「友達ができた(社会的欲求)から,次は尊敬されたい(尊厳欲求)と思う」みたいな話です.
下の階層の欲求(≒不純な欲求)が満たされる前に,上の階層の欲求(≒高尚な欲求)を意識しても,なかなか頑張れないから,不純な欲求を上手く利用しよう,という考えです.
好調なら高尚な動機,不調なら不純な動機
さて,私は,最近,「好調なら高尚な動機,不調なら不純な動機」を意識するようにしています.
例えば私の学生時代は,「好調な時期」でした.研究も楽しかったし,成果が出たし,周りの友人は面白かったし,彼女はできたしで,まるで進研ゼミを始めたあとみたいな状態でした.
こういう時は,やっぱり気持ちもだんだん欲張りになってきて,「中学(公立で,いろんな人がいました)の同級生全員が安心して暮らせる社会を作るんだ」とか,「世界が驚く技術で人を幸せにするんだ」とか本気で目指していました.その方が,興味の対象や行動の幅が広がり,やる気も出ました.
当時は,不純な動機より,高尚な動機を意識した方が,頑張れたと思います.
一方で,社会人になると,私にとって「不調な時期」が始まりました.研究は不調で成果が上がらず,上司とは合わずで精神を病みがちになり,まるで進研ゼミを始める前みたいな状態になりました.
「こんな社会を作る」とか,「人を幸せにする」とかいう100歩手前でくじけたと言えます.
こんなときも学生時代の影響からか,私は,高尚な欲求だけしか意識していませんでした.夢を諦めるみたいで,後退するみたいで,悔しかったのもあります.
すると,理想と現実のギャップが大きすぎて,だんだん頑張れなくなりました.
今は,不調な時は,意識して,不純な動機に立ち戻るようにするのが正解だと思っています.「上司の小言を減らしたい」,「まずは楽に安定してお金を稼ぎたい」,「気にくわない仕事内容でも成果にして,仕事ができるキャラで女性にモテたい」とか考えた方が,よっぽど楽に目の前の事に意欲が湧きます.
決して高尚な動機を諦めたわけではありません.人生の目標はしばらくはお預けして,まずは目の前の課題を上手く解決しよう,という気持ちです.
何かにつまづいてモチベーションが下がっている方は,試しに不純な動機を言葉にして意識してみてはいかがでしょうか.
執筆時間:60分