20代企業研究者のブログ

機械学習・経営理論から日頃の考え事まで,気になったものをまとめて発信

なぜ「モチベーション高く働かなければならない」と思ってしまうのか

f:id:kkkxxxkkxxkx:20170417231410p:plain

本を読んだ

前回の記事の続きです.
http://kigyo-researcher.hatenablog.com/entry/仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわら
kigyo-researcher.hatenablog.com

前回は,仕事をする上で,モチベーションにこだわらない方がいい理由について書きました.

今回は,我々は,なぜ「モチベーション高く働かなければならない」と思ってしまうのか,について,紹介と思います.

我々は,なぜ,「モチベーション高く働かなければならない」と思ってしまうのか

働くモチベーションが問題視されるようになったのは,2000年代の後半になってからです.
背景には,労働のあり方の変遷による,2つの理由があります.

  1. 食べていくための労働から解放された.職業の選択肢が広がった.
  2. 「勤勉倫理」が薄れた.

1.食べていくための労働から解放された.職業の選択肢が広がった.

自分や家族が食べていくために労働が必要な人は,労働のためのモチベーションを必要としませんでした.
なぜなら,働かなければ死んでしまうので,モチベーションの高低に関わらず,働くしかなかったからです.

現代では,社会保障もあり,(労働は義務とはいえ)働かなくても直ちに死ぬことはありません.
その分,毎日しんどい思いをして働いていると,何のために働いているのか,疑問に思いやすい状況になったと言えます.

また,江戸時代以前などでは職業選択の自由も少なく,鍛冶屋の子は鍛冶屋,畳屋の子は畳屋になるのが当たり前の時代でした.
選択の自由がない分,その仕事をする意味についても疑問や迷いをもちにくい時代だったと言えます.

現代では職業選択の自由があるので,「自分の職業選択が正しかった」と思える理由を探したくなります.そんな気持ちの時に,自分の選択した仕事に対するモチベーションが低いと,「私は他人よりも幸せではないのではないか」という不安が頭を過ぎるのではないでしょうか.

2.「勤勉倫理」が薄れた

「勤勉倫理」とは,「よく働くこと」そのものに価値があるという考え方です.例えば,長時間労働を肯定するような価値観です.

「どんな仕事をするか」以前に,「よく働くこと」そのものに価値があると考えます.とりあえずがんばって働けば,「がんばったね」と認められる社会なので,働く意味やモチベーションの高低に思い悩む必要が小さくなります.

現代では,過労死など長時間労働のデメリットが顕在化してきたこともあり,「勤勉倫理」は薄れつつあります.
長時間労働はよくないよね,労働自体ではなく,仕事の内容に価値があるよね」と考えるようになった現代人は,自分に価値を感じるためには,「やりがいがある仕事をしなければならない,仕事で自己実現しなければならない,モチベーションが高くなければならない」と考えやすくなります.

しかし,前回の記事で説明した通り,実際にモチベーションの高い業務だけをできる人は少数です.

なので,皆が自分の労働に価値を感じる,というのは難しいわけです.

前回と合わせた自分なりの結論としては,「仕事だけで充実・自己実現を目指すのは,結構難しいから,あまり仕事ばかりしすぎない」といったところでしょうか.

熱い気持ちは忘れずに,でも自分や環境に失望もせずに,淡々と目指す夢に向かって仕事をしていこうと思います.